柏餅の由来☆発祥はどこの地域でどのように始まったのでしょうか?

男の子の節句である端午の節句。そんな機会に食べられる食べ物の1つに、柏餅がありますよね。ですが、一体どうして柏餅が、端午の節句に食べられるようになったのでしょうか?

そんな気になる由来と、発祥の地域について調べてみました。由来を知って、子供達に語りながら食べると、また違った楽しみがありますね。

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柏餅の由来とは?

柏餅というのは、柏の葉の上に、上新粉と片栗粉を混ぜて作られた餡入りの餅を挟んだ和菓子です。柏の葉を2つ折りにしているのが特徴的ですね。

どうして餅を柏の葉で挟むようになったのか、この由来は、「柏の葉は新芽が出ないと葉が落ちない」ということが関係しています。つまり、「親は子供が産まれるまで死なない」という意味合いで用いられたということです。さらに深く解釈すると、これは家系が途絶えないという意味を持っており、子孫繁栄にも通じています。

家系に関する想いが込められたお菓子だからこそ、代々家系を継ぐ者とされてきた「男の子」の節句に用いられるようになったのでしょう。

柏餅が食べられるようになったのは、徳川将軍の家重~家治の時代と言われています。つまり、1661年~1673年ごろではないかと言われています。柏餅を食べる風習は、もっと古くからあったものではないかというイメージもあるので、江戸時代というのは意外ですね。

柏餅の発祥の地は?

柏餅の発祥の地は、江戸であると言われています。柏餅を食べる文化は、徳川の時代に江戸で生まれ、それが参勤交代により全国に行き渡ったものだと考えられます。

端午の節句自体は、中国から伝わった風習ではありますが、柏餅を食べるという風習は中国には無く、日本独自の物であると考えられます。

そんな柏餅は、近畿圏以西では柏の木が自生していません。そのため、これらの地域では元々、端午の節句にはちまきが用いられてきました。このちまきに関しては、中国発祥の風習で、端午の節句と同時に日本に伝えられたものだと言われています。

ちなみに、ちまきを端午の節句にいただく意味は、中国の故事からきている「難を避ける」という縁起をかついだものです。現在では、それぞれに発祥の異なる柏餅とちまきが、セットで端午の節句のお祝いに用いられていますね。

また、もう1つ気になる端午の節句の菖蒲に関しても由来はあります。菖蒲は薬草として用いられており、これを菖蒲湯にして端午の節句に入ることで、無病息災を祈っていたというのが由来です。

菖蒲は腹痛や打ち身の治療に有効な漢方薬として活用されていたので、これを無病息災の象徴としたのも頷けます。菖蒲の葉の形は剣のような形状をしているので、これを束ねて刀のようにして、子供達の遊び道具としても親しまれたようですね。まさに菖蒲は、男の子の節句にピッタリな植物なのです。

柏餅の正しい食べ方は?

端午の節句の定番である柏餅。ですが、桜餅と同じように、食べ方で迷ってしまう方もいらっしゃるでしょう。桜餅に関しては、巻いている桜の葉についても、柔らかく塩漬けされているので食べることが可能です。

ですが柏餅に関しては、包んでいる葉は食べません。中の餅だけをいただくのが正しい食べ方です。柏の葉は硬く、とても食べられるものではありませんね。

そのため、柏餅の中には、材料費を抑えるために工夫して柏の葉を使わず、それを模したビニールシートを用いて作られているものもあります。手を汚さない目的で巻いているもの、というような感覚がありますね。

まとめ

柏餅の由来は江戸時代にあり、意外と最近始まった風習であるというのが分かりますね。発祥が中国であると考えている方も多く、日本オリジナルの風習であるというのは意外に感じられます。

そんな柏餅、実は江戸時代の文献によると、決して美味しいものではなかったようです。最近では味にも工夫をこらし、美味しくいただける柔らかくて甘い柏餅が一般的になっていますね。端午の節句には、そんな素敵な柏餅を家族でつまみながら、お祝いしましょう!

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